会報 2019年03月

岐阜県を訪れて

ブラジル岐阜県人会の代表者として、私とエリーナさんが1月8日にグアルーリョス空港から出発しました。フランクフルト経由、24時間のフライトで疲れましたが、無事、到着しました。中部国際空港では岐阜県庁の職員の方2名が出迎えてくださいました。私の叔母と従妹たちも来てくれていました。
そこでアルゼンチンからの参加者のセバスチアンさんとルナさんともお会いしました。ペルーからの参加者2名も2時間後に到着するとのことでしたので、待っている間、空港内の温泉に浸かりました。疲れも取れ、身だしなみを整えることができました。
ペルーからの参加者のフェルナンドさんとタケジロウさんも到着し、すぐに皆でバスに乗り、岐阜へ向かいました。県庁では通訳の方たちを紹介していただきました。スペイン語の通訳は水谷さん、ポルトガル語はマリナさんでした。
最初に岐阜県副知事にお会いしました。神門副知事は各地岐阜県人会と県との交流をより深める重要性について話をされました。続いて県議会の副議長室を訪れ、野島征夫副議長にご挨拶しました。
県庁を後にし、次は岐阜新聞を訪れ、社長にお会いしました。
初日の夜は滞在しているホテルで、中南米各地の県人会から来ている参加者と招待客の夕食懇談会が行われました。出席者は3つのテーブルに分けられました。そこでは、ブラジルの文化を紹介する活動を行っている岐阜日伯協会の方たちとお話ししました。
次の日は、朝食の後、バスで関市へ向かいました。そこでは刀の製造工程についての説明を聞き、実演を見ることができました。
美濃市では、着物を着て伝統的な街の通りを散策することができました。和紙問屋だった今井家を見学し、和紙の製造についても少し学びました。日本中のアーティストが制作した和紙の灯篭が展示されている博物館へも行きました。
最後の見学地は郡上市でした。とても綺麗な街で、中央を流れる川の橋からは街の全景が見渡せました。食品サンプルで有名な場所で、サンプル作りを体験することもできました。郡上市役所へも行き、市長と市議会議長にもお目にかかりました。
夕方には、その日滞在するホテルがある高山市へ移動しました。着いたとき、一段と寒く感じられ、雪も少し見られました。
2日目は高山の屋台を見に行きました。数百年もの歴史のある屋台で、それぞれ名称も特徴も違っています。年中無休で開店している通りへも行きました。
続いて、バスで白川郷へ向かいました。白川郷は世界文化遺産にも登録されている集落で、茅葺屋根の建物で有名です。とても綺麗なところで、私たちが訪れた時は、雪に覆われていました。集落を散策し、唯一、一般公開されている神田ハウスを見学しました。戻る前に、集落全体が見渡せる展望台へ寄りました。
その後、岐阜へ戻り、参加者たちはそれぞれの家族や親戚に会いに行きました。
私は電車で千葉に住む叔父達のところへ行きました。夕食と朝食を共にするだけの短い時間でしたが、久しぶりに会えて本当に良かったです。
次の日の朝、電車で岐阜へ戻り、マリナさんと待合せしました。そこから集合場所へ向かいました。
日本で生活、就労している日系人の方たちと座談会が行われ、とても有意義な集まりでした。皆さん、県人会の活動を良くするための提案をいくつも提示してくださいました。
この集まりがこの研修の最後のイベントでした。終了後、通訳の方達と別れ、バスで空港ホテルへ向かいました。次の日には国内線で羽田空港まで行き、そこからブラジル行きの便に乗る予定です。
次の日は朝早くに起きて、朝食後、チェックインしました。搭乗エリアで別の便に乗るタケジロウさんとフェルナンドさんに別れを告げました。私たちは羽田へ向かい、そこからフランクフルトまで行き、そこからブエノス・アイレスへ向かうセバスチアンさん、ルナさんと別れました。私とエリーナさんはサンパウロへ向かいました。
短い期間でしたが、とても貴重な体験でした。以前は岐阜についてあまり知らなかったのですが、研修期間中に現地の文化や伝統に触れることができました。おかげで岐阜に関してより詳細にイメージすることができるようになりました。この体験をさせて頂き、心より感謝いたします。

(原稿:ブラジル岐阜県人会会員 池戸アンドレ)

 

 

人生振り返れば、長とは。。。

最近、酒を飲む機会が少なくなり、日系社会で起きているもろもろの話題も、あまり耳にする事もない。と言って、あっちこっちと出歩くことも億劫(おっくう)になってきた。
それでも久しぶりに昔からの知人から「一杯どうだ」と、電話を受けると前後の見境もなく、いとも簡単に喜々として出席の返事。我ながら意思の弱さに呆れる。だが内心では、まだまだ忘れられた存在ではなかったかなーと、何となく安堵。人物が小さいよな~。
何の本だったか? 記事だったか?は忘れたが、長(国や組織の「長」の意)とは、国であれば国家元首、つまり、外国に対してその国を代表する人物であるため、この国を守りたいと自ら考え、将来に向かって発信出来る人、と書かれていた。全く同感で、そんな人であることを私は固く信じている。組織の長であれば、理事長とか会長、または社長と呼ばれて皆の尊敬を受けている。家族であれば一家の主として、家長としての威厳と責任さえ生じる。
年が明けると各団体の総会開催のこと等々、理事長、会長候補の話題が中心で、バールや一杯飲み屋では、役員人選の話で盛り上がる。
つまり、あれは「人徳」がないからなーとか、または「人望」が云々という言葉が飛び交うが、このような時の話には、候補者の人物について、めったに褒めるような言葉は出てこない。酒の席なんだから誉めて、褒めて、、、と思うが、ここが難しい。
力を入れすぎれば「仔馬の朝駆け(=初めに力を入れ過ぎて、すぐに疲れてしまう意)」になりかねるしなー。
今の日系社会では、日本語を主体とした団体が少ないことも理由だが、「人徳」という言葉そのものが死語に近い?こともあって、はたしてこういう事がどこまで認識をされているのだろうか。「人徳」、「人望」と言う単語を辞書で引いてみると、読んで字の如く、「その人に備わっている徳」と、別段、目新しい事も書いていない。誠にあっけない。周りを見回してみても、世の中、なかなかそんな人物がいないという事もよく分かる。腕一本、すね一つで、損か得かと、突っ張って生きたブラジル社会の中で、自分を磨く人生修行などは、余程の人でない限り難しい。そんな事は、誰でもわかっているのだけれども、団体選挙の時には、声をひそめて「あれは仁徳(にんとく)がないからなあー」と、ため息とも何とも云えぬ声で呟く。が、口にするほど「仁徳」、「人望」をもった御仁がそう簡単にはいないのも、言った本人が一番よく知っている。また、見つける事も容易ではなく、その事も大勢の人達は知っている。
では、なぜこうした言葉が、そもそも大手を振るって、仲間内で語られるのだろうか? 不思議な言葉に思えてならない。
一方では、死んだ人には、「仁徳、人望があった」、「あの人は良い人であったのに」と皆は、褒め称えるが、具体的な説明は言わない。聞く人もいない。忖度(そんたく)があるのみ、のように聞こえるが…。人はことほど、左様(さよう)に無責任だ。
「仁徳」「人望」を会得(えとく)するのには、どのような考え方で、どうすれば、どんな行動をすれば生まれるのだろうか? あるいは身につくのだろうか? 具体的に人は教えてくれない。誠に意地の悪い言葉のようで、無責任極まりない。
だが、周囲はこの言葉に弱い。聞く周りの人たちも、その人にどれだけの人徳があったかは具体的に知らない、また知ろうともしない。それでも、周りの人間は、分かったふりをして、「そうだ、そうだ」と言って相槌(あいづち)を打つ。こんな理不尽な言葉があっていいはずがない。
それでも飲み屋のカウンターでは、まだまだ話は続く、「誰々は弁(べん)は立つが人徳がないからな~」「あいつは、頭はいいが人望がない」云々。「帯に短し、たすきに長し」と言った具合で、人物評価をする。
「何を根拠に…」と言いかけて「あっ、これは聞かない方がよいかなぁ~」と思い返し、「なるほど、なるほど」と相槌を打ちながら、一方では「あるいは自分に向かって言っているのかなぁ~」と疑う。しかし、どんな場合が、人望があった方がいいのか? ない場合は? 具体的には何の説明もないまま、、、相手は言うだけ言うと、飲食店の支払いも関係なく、寝てしまう。結局、飲んだり食べたりの勘定はこちらもち。
こんな人から、「仁徳」とか「人望」とかの話は聞きたくないよな~。でも『馬には乗ってみよ、人には沿ってみよ」という諺(ことわざ)もあるんだよなぁ~。

(原稿:ブラジル岐阜県人会顧問 山田 彦次)

 

 

2019年2月の出来事

  • 1日
    • 日本財団による若手日系人調査に伴う協力要請のメールを受信。世界中の若手日系人対象に所属団体の記載や日系人としてアイディンティティーに係わる調査が目的とある。早速、若手会員へメールを転送して、調査協力を要請。
  • 4日
    • SOME Solução Empresariais e Contábeis 会計事務所との契約交渉は、事務局が担当する事で、理事会が承認。同社のSr. Ralfeと現会計事務所のSr.Eliseu(オーナー)とでミーティングをし、月次経理書類の具体的な処理方法および月々のサービス料金と年末に支払われる13か月分(1/12)を毎月に追加し、明記された金額の契約書作成を依頼。
  • 8日
    • 岐阜県各務原市より高橋明丈氏が人探しを目的に県人会事務所を訪問。50年前に家族移民として移住された「野口氏」調べたが判明できず、ニッケイ新聞社へ人探しのコーナー欄の掲載を依頼。
  • 11日
    • 岐阜県商工労働部観光国際局より「若手リーダー招聘事業に参加した2名の成果報告書提出」の要請があり、各自より提出されたポ語報告書を送付。
  • 12日
    • ジャパンハウスより、岐阜県の観光、工芸品、郷土食等の講演及び展示会開催の案内状が届く。早速、国際課へ展示品及び観光宣伝に必要とされるスライドやその他について説明と協力を要請。
  • 14日
    • SOME Solução Empresariais e Contábeis 会計事務所より正式な契約書が提出された事により、1月度の経理処理作業がスタート。
  • 19日
    • 2018年度の補助金申請書類を受理した旨の連絡が県庁よりメール受信。また、県費留学生地域共生活用促進事業実施要領が送られてきた。
    • 20日定例理事会が開催。
  • 26日
    • ジャパンハウスの栗田運営局長を橋詰理事と坂野マネージャーが訪問。展示場のスペース確認及び総合企画について質疑を交わす。カーニバル明けの3月6日以降に、出展を希望する県人会が召集され、実行プランに関して、話し合いの場が設けられるとの説明があった。
  • 28日
    • 2018年度の補助金が確定された。送金は3月中旬の予定との通知を受ける。

 

 

2019年2月定例理事会議事録要旨

  • 日時: 2019年02月20日(水)午後5時~
  • 出席者: 長屋充良会長、国井宏裕副会長、日比野健一(会計理事)、金子享資 (書記理事)、橋詰二朗(理事)、日比野亘(理事)、大野美夏(理事)、浅野悟(監事)、坂野政信(マネージャー)
  • 審議内容
    1. 金子書記理事が1月の業務報告を行い、了承された。
    2. 日比野会計理事が1月の会計報告を行い、了承された。
    3. 2019年開催の日本祭り
      • 5種類の出品が決まり、原価計算書、損益計算書が提出された事により、実行に移す事が承認された。
      • 日本祭り、郡上盆踊りのボランティア募集活動については、長屋会長より各理事へ、率先して人員の確保を促す要請が出された。
    4. 総会
      • 2018年度末定時総会へ提出される全ての資料を基に、再度チェックが行われた。なお、総会後に催される、新年会の出席者名簿が確認された。
    5. ジャパンハウス展示会
      • ジャパンハウスよりブラジル都道府県宛に月21日~7月7日、物産展参加の招聘状が送られてきた事により、議論が交わされた。結論は、出展する方針で理事会が承認。具体的な対応案は、更に詰めが必要なので、調査を兼ねて実施して行く事となる。
    6. その他
      • 邦字新聞の購読を継続が承認された。
      • 家屋税(IPTU)一括払いが承認された。
    7. 次回理事会 2019年03月20日(水) 17時~