ブラジル岐阜県人会便り
インターネット版
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第316号
2017年12月

 

ブラジル岐阜県人会忘年会

 

~ 今年最後のイベント ~

 

   12月に入ると季節の変わり目のためか、毎日のように天気が変わり、雨模様の日が続いた。そのため、忘年会の開催が若干危ぶまれましたが、12月16日(土)午前9時の開催時には朝から陽が射し、絶好の忘年会日和となりました。

   ブラジル岐阜県人会の国井副会長はコペルコチアクラブの役員という事もあって、この日のために改装されて間もない第2キオスク(バンガロー)を予約してくれました。テーブルや椅子も含め50名は十分に収容できるスペースで、シュラスケーラ、冷蔵庫、調理台、男女トイレ等も完備された立派なキオスクです。

 

参加者の皆さんに挨拶する国井副会長(右・後ろ姿)と参加者の皆さん

 

   参加者が徐々に集まり始めたのは、午前10時を過ぎた頃でした。今回、忘年会に初参加された方の中にはパラナ州のマリンガ市(サンパウロ市との距離は650キロ)やリオグランデ・ド・スル州のポルト・アレグレ市(サンパウロ市との距離は1140キロ)と遠方からの会員も出席されました。

   青山会長が体調不良のため不参加となり、代わって国井副会長が挨拶で、「大勢の方々がこうして集まった事は、非常に有意義なことです」と、今回の忘年会への思いが述べられました。そして、来年に控えた周年記念式典の概略説明がポルトガル語であり、その節は「会員が一丸となって歴史的意義のある祭典を成功に導くために、皆さんのご協力を仰ぎたい」と熱く語られました。

   初対面の会員も多かったので、最初に参加者全員の自己紹介が行われました。サン・ベルナルド・ド・カンポ市より第36期留学生の杉村・池田めぐみ・エリカ氏ご家族、ピエダーデ市より第4期(1972年)留学生の国井雄次氏と母親の国井きぬえ氏(岐阜市出身)、第8期(1994年)技術研修生の橋本マルコス氏、イタペチニンガ市より伊藤勉・パウロ監事、サンパウロ市内からは国井宏祐副会長ご家族、日比野健一会計理事、長屋充良理事、平野イラシー監事ご家族、金子亭資監事ご夫婦、大野光男監事ご家族、影山六男事務局員とご家族、神戸大より渡伯し、ブラジル人文研でブラジル人の出稼ぎ実態調査に携わっている小谷真千代氏(各務原出身)、沖電機ブラジル現地法人社長の小橋ひとし氏など参加者の皆さんが次々と経歴や県人会との関わりについて語られました。それによって和やかな雰囲気が醸し出され、シュラスコパーティーも開始。各自が一品持ち寄った珍しい品々もテーブルに並べられ、豪華な食事会が始まりました。

   忘年会の初参加の一人で、ポルト・アレグレ市在住の大野カルデラ・喜代子ルマ氏は第42期(2012年)の留学生で、「理学療法士として岐阜大で留学していた」との自己紹介がありました。そして、「この日を大変楽しみにしておりました」と輪の中に積極的に溶け込み、「来年の式典には是非参加したい」と、場を盛り上げてくれました。また、マリンガ市からこの日のために駆け付けた大野日出丸氏も「遠方のため、なかなか県人会の催しには参加することが出来なかったが、来年は日程調整が可能な限り、参加したい」と述べ、来年に向けての意気込みを語り、皆を喚起しました。

   自然あふれるスポーツクラブ内でのゆったりとした時間、美味しい食事と楽しい話題で盛り上がりました。

 

広々としたキオスクで会話を楽しむ参加者の皆さん

 

   また、小橋社長からこの日のためにと「獺祭(だっさい)」(山口県岩国市周東町の山里にある「旭酒造」)が寄贈されました。このお酒は今、日本で最も有名で高価な日本酒銘柄の一つです。久々に美味しい日本酒を嗜んだ愛好者の人たちは話も弾み、ほろ酔い気分で時間を忘れたかのようでした。

   最後は参加者全員が後片付け分担し、午後5時には閉幕となりました。

   今回のイベントで次世代の方々と今後の県人会の運営についてディスカッションができたことは県人会にとって大きな一歩かと思われます。そして、若い人々に何かを感じ取ってもらえたのではないかと淡い期待感を持つことが出来ました。

 

(原稿: ブラジル岐阜県人会 マネージャー 坂野政信)

 

 

 


 

 

日本語教育とJG(ジャポネース・ガランチード)

 

   近頃、各地の日系協会の役員会において、二世、三世の役員が「日本語は少数の人しか理解出来ないからポルトガル語で会議を進めましょう。(もちろん、議事録は日語/ポ語の両語はやめてポ語だけとなる)」と堂々と発言され、誰も反対する者もなくポ語になる傾向があります。これで良いのでしょうか? 私は、長年リオの日本語普及会に関係しております。この件について考えてみました。

   「ジャポネース・ガランチード(JG)」の言葉についてはいろいろな説がありますが、私は「信用できる日系人」をとります。この短い言葉で集約されて使われているJGの人間像とは「ブラジルの日系人は真面目、勤勉、誠実でブラジルの社会で信頼(信用)出来る人間である」ということ。これは、日本の日本人が持つ「真面目、勤勉、誠実、他人に迷惑をかけない人間であろう」とする人間像と同じかと思います。

   では、ブラジルにおいてJGで表現される日系人像はどのようにして作られたのでしょうか? 人格形成には家庭内の躾は大切です。また教育が大きく影響します。また、人間は言葉でしか自分の意思、感情を表現する事が出来ない等の理論からすれば、ブラジル移住百年間の家庭内での日本語での日常会話、移住地の日語学校での日本語教育は、JGで表現される日系人像形成に大きな役割を果たしたと考えます。

   ブラジルの日本語教育においてJICA(国際協力機構、日本国政府)の援助は、モデル校建設、学生寮建設、教師謝礼金支援、教師本邦研修、生徒本邦研修、教師の研修会、勉強会開催支援、教材贈与、シニア専門家、青年ボランティア派遣など莫大なものです。JICAの援助なくしてコロニアの日語学校はもとよりブラジルの日本語教育は成り立たないといっても過言ではないでしょう。

   投資家が資金を出して事業を始めた場合、必ずその見返りとなる利益などを要求します。私たちコロニアはJICAへ見返りとして何をあげますか?

   教育の成果は短期間には結果は出ません。何をあげられますか?

   私は、ブラジルにおいてJGで表現される日系人像だと思います。JICAのブラジルでの日本語教育に対する援助は、ブラジルでのJGで表現される日系人像の定着がJICAへの見返り(恩返し)だと考えます。

   JGで表現されるブラジルでの日系人像は、お金では買えない大きな財産です。この日系人像は四世、五世の時代にも引き継がれてゆくのでしょうか?

   はじめに書いたように、二世、三世のエリートが日本語を軽視するようであれば、この日系人像はブラジル化して消滅すると思います。

   継続させるには、何が必要でしょうか。「家庭での躾を含んだ、大きな意味での日本語教育」以外にないと思います。

   全ての日系人は日本語を軽視するのは止め、積極的に日本語を取り入れるようにして、JGと言われる日系人像を末永く保持して、ブラジル人の中に浸透させましょう。

 

(原稿:リオ・デジャネイロ在住 山田和三会員)

 


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