ブラジル岐阜県人会便り
インターネット版
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第312号
2017年8月




思い出に残る1年

 

第14期生(1982年度)元県費留学生

 

 

   1982年に岐阜県の奨学生(県費留学生)になれたことは、とても大きな幸運でした。

   日本、そして私の父方の祖父母の故郷を知るという夢が実現したのです。

   祖父母は6人の子供を連れ、1934年に「あらびあ丸」でブラジルへ移住しました。 私の父は2歳でした。 農業や魚の養殖、養蚕など、サンパウロ州の奥地で懸命に働き、バストスに定住しました。 私はその町で生まれ育ちました。 当時、バストスの人口の大部分は日本人移住者の家族でした。 そのため、私たちは幼いころから日本語を勉強するよう促され、日本語学校へ通いました。

   私は勉強を続けるため、17歳の時にサンパウロ市へ来ました。 予備校に通い、その後パウリスタ医科大学(現在のサンパウロ連邦大学)で視機能療法学を修めました。

   父たちの出身県による奨学金留学制度があることは、大学時代に友人から聞いて知りました。 それ以来、大学を卒業した後にその奨学制度の試験を受けることを夢見るようになりました。 そして大学を卒業し、その夢を実行に移した時、孫の私たちに「日本語をもっと勉強してほしい」と話していた祖父母の言葉を思い出し、痛感しました。 もっと素直に勉強していればよかったと思います。

   1982年、ついに私は日本へ行く機会を得ました。 他の県の奨学生たち70人ぐらいのグループと一緒で、岐阜県の奨学生は私と、エウニセ・ヨウコ・ヤスエさんでした。 父の叔父さんや従兄弟たちに会えたことは大きな感動でした。 こんなに似ているとは思ってもいませんでした。

   日本の季節はそれぞれ特徴があり、はっきりした四季を実感することができました。 春は桜。 夏は何日も続く雨と我慢できないほどの暑さ。 秋には木々の葉が色づきます。 そして冬は雪。 とにかく素敵でした。 岐阜県での1年間は、あるご家庭に住まわせてもらったことで、より豊かなものになりました。 そのご家族はご夫婦と3歳と7歳のお子さんがいらっしゃいました。 おかげで地域の日常生活と習慣をより深く知ることができました。

   また、留学生のために用意された様々なプログラムでは、お城や美術館など、多くの歴史的な名所を訪れ、見学することができました。 その他にも、日本文化をより知ることができるように地場産業も訪問しました。 学問の分野では、岐阜大学医学部付属病院の眼科部門に受け入れていただき、アサノ・キミエ先生の指導の下、斜視の診断や治療に同行させていただきました。 この研修はブラジルへ戻ってから大変役に立ちました。

   それからもう35年が過ぎました。 とても古い話ですが、当時の思い出や友情は今も続いています。 今では色々な国で、たくさんの種類の交流事業があります。 インターネットの普及とグローバリゼーションにより、全てのものが近くなり、アクセスも簡単になりました。 それでも、日本人の子孫として、日本で直接、日本の習慣、伝統、文化に親しんだことは、表現できないほどの経験でした。

   日本への留学を選ぶ際に困難になるポイントの一つは、日本語だと思います。 現在、日系の若者は日本語をしっかりと習得していない人が多いので、高い日本語能力が求められる大学の授業の内容を理解することは困難です。

   現在、私はサンパウロ大学(USP)クリニカス病院の眼科の視野部門で働いています。 長い年月が過ぎたにもかかわらず、この文章を書くことで、いつまでも心に残り続ける素晴らしい思い出がたくさんよみがえりました。

   私にこの機会を与えてくださり、1982年を一生忘れない年にして下さった皆さんに心から感謝いたします。

 

1982年の岐阜県県費留学生、クラリセさん(左)とエウニセさん(右)

 

アサノさんの家族と私(左端)1年間暮らした岐阜県で

 

現在の仕事場で

 

(原稿:元県費留学生 池戸小夜子クラリセ)


 

 



ピンピンコロリへの道

 

   日本は長寿国ではあるが、年をとってもピンピンしている健康長寿の人はそんなに多くない。 私達(高齢者)が望むのは亡くなる直前まで元気に活動するピンピンコロリ(PPK)の人生であり、不幸にして長期の寝たきりになって亡くなるネンネンコロリ(NNK)ではないですね。

 

長野県は何故長生きなのか、他県と違う処を上げてみますと。

1.高齢者の有業率(働いている高齢者の割合)が日本で一番多い。 特に農業従事者がとても多い。

2.標高が高い自治体が多い。 (標高が1000メートル上がると、男性はほぼ2歳長生きであることが調査でわかっています。)

3.青壮年者の死亡率が低い。 (特に肝臓がんの死亡率比が全国平均より約4割少ない、予防接種が原因のC型肝炎による肝臓がん死亡率が少ないことが背景にある。)

4.1人あたりの老人医療費が最も少ない県のひとつである。

5.地域医療の先進地域であり、「自分たちの健康は自分たちで守る」という健康への積極性が培われている。

6.公民館活動が活発で生涯学習に力を入れているため、人口100万人換算で843.3館もあり、これは都道府県では断トツに多い数を誇っている(全国平均は134.2館)。

標高が高い土地で植物を育て(当然自然環境が良い)よく働き、生涯学習を一緒にできる仲間やご近所さんを持ち、多少の体調不良では病院に行かず薬も飲まず、「自分の健康は自分たちで守る」をモットーに生きてる人々が健康で長生きだということですね。

その他の調査からわかったこと

1.入院が長くなると健康でなくなる可能性が高い。

2.薬は少なめが健康の秘訣。

 

長寿と歯の関係

歯周病になると、口腔内の歯周病菌が血流で心臓に運ばれ、心臓の血管が炎症を起こし、動脈硬化や心臓発作になる可能性があります。 歯周病の人の心疾患での死亡率は、健康な人の2~3倍と言われています。 また、食べ物を飲み込む機能が衰えた高齢者が誤って歯周病菌が着いた食べ物を気管支や肺に送り込むことで、誤えん性肺炎を引きおこすことが知られています。 その他、歯周病で歯が抜けて食べ物が噛めなくなると、脚力やバランス能力などの運動機能が低下したり、食事が進まず健康を害することもあります。 たかが「歯の病気」という考えをあらためて、かかりつけ歯科医を持ち、定期健診によって歯の病気の予防と早期発見・早期治療に努めることは大切。 かかりつけ歯科医がいる人は長生き。

 

こんな人が長生き

→おでかけ頻度が高い

→お酒を毎日飲む(勿論適量)

→かかりつけの歯科医がいる

→コレステロール値が高め

→財布は自分が握る

→自分は健康だと思う

 

元気で長生きな人に共通する生活習慣の決め手は

「きょういく」と「きょうよう」だそうです。

この「きょういく」とは教育ではなく、「今日、行くとこがある」。

この「きょうよう」とは教養ではなく、「今日、用がある」

これなら誰でも出来そうですね、家にばかりとじこもっていて、外に出かけないと呆ける・老ける・元気がなくなる……そうです。

日々、行くところがある人は長生きするし、今日の用事がある人も長生きする。

また、現職の医師で「医者にかからない方が長生きできる」と一見、乱暴な主張をされる方もいるそうです。 考えさせられますね。

 

私が漠然と想像していたピンピンコロリは、次のようです

ピンピンコロリと言う言葉を耳にしたのは、時期は分かりませんがかなり前のような気がします。 このピンピンコロリを全うする方は農村の方が大多数と理由もなく思い込んでいました。 思えば、少し昔の農村の方は農作業をする水田なり畑まで、自分の足を使って往復していました。 これはまさしく「きょういく」と「きょうよう」を実践していたわけです。 そこで身体を使い農作業をすることは、これは運動に違いないわけです。 日々、生活のためでもあるのですが「きょういく」と「きょうよう」「運動」を好き嫌いに拘わらず実践していたわけです。 結果として、この毎日の地道な努力によって、ピンピンコロリで人生を全う出来たのではないかと思っていました。 と考えると、私の想像のピンピンコロリはかなり理想に近いものでした。

 

病は気からは本当でした、もう一つ積極的に、元気も気からで生きましょう。

ここまで読み進んだアナタ、もう見えましたでしょ、そうピンピンコロリはアナタの中にあります。 行動するしかないのです、アナタ次第です。 健康は貯金が出来ないもののようです、回り道のようでも結局、日々の地道な小さな努力の積み重ねにより、健康・ピンピンコロリが向こうから、アナタの下に転がり込んで来てくれるはずです。

 

 

(「ピンピンコロリの法則/健康長寿プロジェクト」より引用、県人会事務局 影山寄稿)


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