ブラジル岐阜県人会便り
インターネット版
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第310号
2017年6月




農為二国本一

 

 

   「のうはくにのもとなり」と読み、意味は、「農業は国を治め維持してゆく根本である」。 だそうです。 農家に生まれたものの、農業を生業としたことのない私が、農業について認めるのはオカド違いの謗りを免れませんが、現実の農業に関する技術・技法・改良等について、これから書かせて戴くのではありませんので、ご容赦され少しお付き合い下さい。

   どこの家庭でもよくあると思いますが、もう古くなったノートパソコンを、子どもが自分はもう使わないから、私の専用にしていいよと来たもんです。 日本語で使えるようにしてくれ、今はほとんど毎日この中古ノートブックパソコンと付き合っています。

   だいたい最初に、一応日本のニュースをチラッとみてから、YouTubeに移るのが、ほぼお決まりのコースです。 卓球日本の活躍や将棋の最年少プロ棋士・藤井聡太四段のデビュー以来、公式戦負けなしで、6月21日には遂に将棋界最多連勝記録の28連勝に並びました。 この最年少プロ棋士・藤井聡太四段はまだ14歳ですよ。 スゴイの一言です。

   そしてYouTubeの動画を見ていく中で、見つけました馴染みのないこれらの方々の名前を、

      八田與一(はった・よいち)氏

      杉山龍丸(すぎやま・たつまる)氏

      西岡京治(にしおか・けいじ)氏

      遠山正瑛(とうやま・せいえい)氏

      中村哲(なかむら・てつ)氏

   この方々についてご存知の方は飛ばし読みして戴いて結構です。 この方々の他にも居られるのか、私には分かりませんが、この方々はいずれもアジアの国に農業関連での途方もない貢献をされた方々です。 中村氏以外の方々は皆様鬼籍に入っておられますが、中村氏は現在進行形で奮闘されております。 この方々は現地の人々にとり、神様あるいはそれ以上かもしれません。

 

八田與一(はった・よいち)氏

   この方は日本が台湾を統治していた時代に、台湾南部の平野に適切な灌漑施設がなく農民が苦しんでいるのをみて、当時としては珍しい大規模ダム建設を計画し、日本と交渉のうえ、ついにこの計画を認めさせました。 様々なアクシデントに見舞われながらもダムを完成させ、ダムからの用水路も整備したのです。 また、三年輪作法という農業技術も指導し、現地に多大な貢献したとの評価があると動画の中で述べられています。

 

杉山龍丸(すぎやま・たつまる)氏

   この杉山氏は、インド独立後の最初の首相であるネール首相から、直接「インドを助けて欲しい」との電話を受け、インドに飛び、機上からみた砂漠のような光景に、「これがインドか、これがインドだ。 」と、衝撃を受け、祖父の遺言でもある「アジアを救いなさい」に従い、行動を実施に移した。 しかし、農業用水に適切な水源が見つからず、途方にくれていた時、不思議な光景を目撃した。 それは牛が近くの日陰に入らず日を浴びながら、足を折り休息している。 その牛が立ち去った後、そこに触れると湿気を感じた。 この時、杉山さんは「植林」によって地下水を吸い上げる事を思いつきました。 しかしながら、その日その日を生きる事に精一杯の現地民の協力は難しく、ひとり黙々と植林を続けているうちにだんだんと現地民が協力しはじめたそうです。

   インド独立の父・マハトマ・ガンジー、緑の父・スギヤマ・タツマルと呼ばれ尊敬されているとの事です。 「不可能と思わなければ、すべて可能だ」が口癖だったという。

 

西岡京治(にしおか・けいじ)氏

   この方は「ブータン農業の父」と言われ、その献身的な貢献により、時のブータン国王より外国人では唯一人であろう「ダショー」の爵位を授けられています。 ダショーとはブータン語で、最高の人を表わし、ダショー・ニシオカは「最高の人・西岡」となります。

   国王に即位した若き国王から、当地で「忘れられた地」と言われるシェムガン県を、「あなたの手で開発して欲しい」との要請を受けました。 国王の民を思う気持ちに打たれ、西岡さんは引き受けます。 ご家族を日本に帰し、単独で焼畑農業だけが生きる術の「忘れられた地」の惨状に衝撃を受けました。 そこではみな、日常的に飢えていたそうです。

   西岡さんは「農業技術を移し終えたかが問題ではなく、農民の気持ちを変えることが問題だ」と気付き、そのために現地の方々と800回もの話し合いをしたそうです。 水田は平地につくる。 誰がきめたのか?急な斜面に棚田を作り、現地調達可能な資材で、身の丈に合った方法でなければ根付かないという信念の下、竹や塩ビパイプを使った水路を整備し、ワイヤーロープを利用して、17本の吊り橋をも設え、もはや農業技術指導の枠を大きく越えていたようです。

   西岡さんは、もう自分が居なくてもブータンは大丈夫だと思い、日本に帰国して、他の方法でブータンの役に立ちたいと考えていた矢先、ブータンで59歳の若さで、急逝されてしまいます。

   日本の奥様は、パロの丘でブータンの仕来たりに則した葬儀をお願いされたそうです。 「きっと西岡もそれを望んでいるから」と。 農業相が葬儀委員長となり、国葬を以て送られたとの事です。

 

遠山正瑛(とうやま・せいえい)氏

   この方は中国で「砂漠の緑化」を目標に植林により、砂漠の拡大を防ぐ・止める事に自分の持つ技術・技能をそそぎ、遠山氏亡き後も、それに賛同されている日本の数あるグループが遠山氏の意志を継ぎ植林をされているとの事です。 2003年アジアのノーベル賞と言われる「マグサイサイ賞」を受賞されています。

 

中村哲(なかむら・てつ)氏

   この方は現在もアフガニスタンで奮闘されていると思います。 この方の本業は医師です。

   隣の国パキスタンの難民キャンプに医療チームとして入り、診療・診察を続けている時、その辺りは大干魃に見舞われていました。 そういう日々の中で、「水があれば助かるものを」というような事の繰り返しだったかと想像します。 そこで中村さんは一つの結論に至ります。

   ここには100の診療所、100人の医者よりも、1本の用水路が必要だと。 中村さんの凄いところはそれを実行に移し7~8年費やし、遂に25~26Kmの用水路を完成させてしまうのです。

   数年前までは、砂漠のようで農作物など考えられない土地に、いまでは用水路により水が引かれ肥沃な土地に変貌を遂げ、農作物の豊かな収穫により、現地農民の健康的な生活が継続されているようです。

   動画の中で、用水路がなく、旱魃の時は現地農民は家族の食糧を確保する為にお金を工面する方法として、芥子の栽培を考えたり、傭兵に志願しようかとか、しかしこれは負の連鎖の始まりですね。 芥子・傭兵などを考えなくても良い農業は、ある面、平和・健康産業でもあるかと思います。

   朴訥と語る中村さんの一節「この用水路整備は、まさしく医療である」。 この言葉は重く強く感じました。 中村さんの今は、アフガニスタンの為なら死んでもいいと思われているそうです。 中村さんも遠山さんと同じ2003年に、マグサイサイ賞を受賞されています。

 

   ブラジルに於ける日本人が農業に関わりをもったのは、ご存じの如く、農業移民として渡って来た1908年に遡ります。 日本人移民を乗せた笠戸丸がサントス港へ着岸。 そして契約されたコーヒー農園へと向かったのは109年前の事でした。

   その後、1929年に起きたニューヨークの株の暴落により、世界市場のコーヒーは余剰となり、日本移民はこの機に農産物栽培へと転換されたと聞いております。

   その惜しみない努力と、信用を得た日本人は、絶えず日々の葛藤の中で改良を重ね、良質の農産物を作り、各家庭の食卓へ届けたのでしょう。 これは日系農業従事者のたゆまぬ努力があったと言っても過言ではないでしょう。

   日系ブラジル社会で活躍した農業家の山本喜誉司氏は、コーヒー栽培の害虫駆除に有効なウガンダ蜂の研究で、母校の東京大学から農学博士の授与を受けた方です。 1926年、コーヒー栽培事業のためにブラジルへ派遣され、岩崎彌太郎氏がカンピーナス郊外に購入した東山農場(FazendaMonteD’este)を創設され、その初代農場長となったのです。

   戦後は強いリーダーシップをもって「勝ち組」と「負け組」の抗争終結と日系人の権利回復に奔走。 また、1954年のサンパウロ市政400年祭では日系コロニアが日本館を建設し、サンパウロ市に寄贈する役割を果たしました。 1955年にはサンパウロ日本文化協会を創立し、3年後の日本移民50周年祭をコロニアの総意で実現させた人でもあります。

   山本氏の没後、その名を以て「山本喜誉司賞」が設立されています。 農業分野において貢献された方々に与えられる賞となりました。 今年も農業分野での「技術革新への貢献」「独創性・創意への先駆的貢献」「農業者が獲得した成果の波及への貢献」「財政・経済的成功による農業分野での貢献」「地域社会での活躍や社会への貢献」など日系功労者を顕彰する『第47回山本喜誉司賞』の選考が行われます。

   人類が生きて行くためには欠かすことのできない農産物。 広い面積を持つブラジルはこれからも農業分野において更に躍進して行くことでしょう。

 

(原稿:  ブラジル岐阜県人会  事務局  影山 六男)


 

 



岐阜の今、故郷コーナー

 

夏でも雪遊び 白山白川郷ホワイトロード

 

   大野郡白川村と石川県白山市を結ぶ山岳道路「白山白川郷ホワイトロード」(旧白山スーパー林道)の三方岩駐車場で25日、恒例の「雪おくりまつり」が行われ、訪れた人たちが雪に触れ、両市村の特産品を味わった。

   まつりは両市村の観光業者らでつくる白山林道振興協議会が毎年開いている。 今年は白山開山1300年、同ロード開通40周年の節目で、例年より特産品バザーの規模を拡大した。

   会場には、除雪した雪を利用して作った雪像や高さ約5メートルの合掌家屋、雪の滑り台がお目見え。 子どもたちはゴムチューブのそりで何度も滑り、雪遊びを満喫した。

   高山市を中心に活動する吹奏楽団「ウェスト・ウィンド・オブ・セッション」のメンバーが「となりのトトロ」など10曲ほどを披露し、まつりを盛り上げた。

 

雪の滑り台などを楽しむ子どもたち
大野郡白川村、白山白川郷ホワイトロード三方岩駐車場

 

(岐阜新聞6月26日より転載)


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