ブラジル岐阜県人会便り
インターネット版
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第301号
2016年9月

日系社会は基本的には日本語が大切
日伯互いの理解が双方の利益

     
     私が移民としてブラジルに来てから初の日本訪問は1971年6月でした。 当時は日本までの直行便はなく、多くの空港で給油をしながらの旅でした。 (各駅停車といったところでしょうか)
     途中、アメリカの「ロサンゼルス」で一泊し、旅行会社が企画した「ラスベガス」、「ディズニーランド」そして「リトル・トーキョー」等々の観光日程に、田舎者丸出しの観光客の一人として参加し、時間の許す限りアメリカの空気を体全体で受け止めながら、ブラジルや日系社会とは、一味も二味も違う懐の深さを感じた覚えがありました。
     当時の「リトル・トーキョー」には、JTBの観光案内人が、手に小旗を持って日本農業協同組合員らしい集団を引率、同じような服装の観光客の多くを目にしました。
     私にとっても移民としてブラジルに渡ってから、初めてアメリカ各地の観光をしたわけですが、中でも「リトル・トーキョー」の街全体から受ける印象は小日本を感ずる何か?があり、その存在感は強烈でした。
     日本の戦後もまだ色濃く残っている、村生活に慣れ親しんできた者の子孫(私)としては、アメリカという国土の中で過酷な市場にさらされ、さらには日本人という個人が絶えず多くの民族と対峙しているのは、ブラジルで生活をしてきた自分と同じだろうとも考えました。
     そして、また機会があった、20年後に訪れた1990年代の「リトル・トーキョー」からは、すでに日本を連想出来るものは余りなく、なおかつ無気力な寂しいという印象が残っています。
     他方、ニューヨークの「チャイナタウン」は、24時間休むことなく営業を続けており、周辺全体から受ける印象は「何と、活力がある街だろう!」という、素朴な感覚にとらわれたことを記憶しています。
     「ロサンゼルス」にある「リトル・トーキョー」と、「ニューヨーク」の中国系が生活を営む「チャイナタウン」とは、アメリカ国内の東西にわかれた地域ですが、そのエネルギーの源は何処から生まれているのでしょう?遠い祖国を離れ移民を祖先としている日系人と中国系。 同じように移民として外国に住み暮らす我々と、何処でこんなに活力の差があるのか?当時、これも考え込んでしまった出来事の一つでした。
     そこで目にしたのは、本国(中国)からの移民の数の違いもさることながら、アメリカという異国の中にあっても、中国系同士の会話は基本的には中国語、つまり母国語を中心とした会話でした。
     専門家ではないので、詳しい理由はわかりません。 しかし、大人や若者も含めアメリカ生まれで英語もできる子供たちまでもがアメリカという外国内で、中国語の会話が出来るということに私は興味を持ちながら、中国食堂で夕食をした記憶があります。
     サン・パウロ州サン・ミゲール・アルカンジョ郡にある「天野図書館」には「言葉を忘れた民族は、やがて其の活力を失う」「O POVO QUE SE ESQUECE DA PALAVRA PERDERÁ UM DIA O SEU DINAMISMO」と日伯両語で書かれた標語の額が掲げられています。 この言葉は、私たちの移民社会には、とても重要な意味を持つものと私は考えています。 私たちの周りにはこのような格言や長老たちのふるまう「日本人らしさ」が意外と多くあり、それらを見たり聞いたりした経験はどなたもお持ちかと思います。
     今、私たちの周辺で、よく話題に上るのが、日系社会を取り巻く日本語に関する環境問題です。 いわく「新しい移住者がいないから日本語は…」とか、「日系団体には若者の参加が少ないから…」と言う言葉が、何とも軽い意味で語られていることです。
     これも当たり前の話ですが、必死の努力や切実さを伴わない中で語られる言葉は、脇の下を通り過ぎる秋風のようなもので、虚しさがあるのも事実です。 何となく諦めの気持ちからなのかは不明ですが、最後には「それが人間だ。 だから地球は回る」と言いつつ、「それはそれで楽しいのですよ」と、結論付けられて議論は終わりを告げられます。 ですが、その本質については、「間違う可能性があるように思います」という声も聞こえてきます。
     仮にですが、当会がすべてをブラジル語で運営をしていたとしたら、現在の「ブラジル岐阜県人会」ではなく、名称も運営方法も変わっていたかもしれません。
     ブラジル岐阜県人会の名称については、御承知のように、岐阜県と密接な絆(きずな)があることを意味します。 早い話が、「岐阜県対、県人会」、高校生たちのブラジルでの「実習体験対、県人会の関係」、「県費留学生、イコール岐阜県」。 その他、5年ごとに開催されている記念式典、等々。 「ブラジル岐阜県人会の価値」はこのような事業があることに、その存在感があるばかりでなく、事業の中で取り交わされる、メール、手紙、電話などの通信手段は「すべて日本語」であると同時に、私たちの団体は一種の「濾過(ろか)装置」のような役目も担って、ブラジル社会との交流事業を行っていると私は考えています。
     ですが、私にはブラジルに同化することは「良いこと、とか悪いこと」と断言できるほどの教養も何もありません。 ただ感じたままを申し上げているにすぎません。
     ブラジルに移住をしてきた子孫である日系ブラジル人は、150万人とも170万人とも考えられていますが、全ブラジル人口の割合では0.8パーセント前後の人口だと推定されており、今では5、6世代もおり、一段と同化現象が進み、6割前後の混血社会とも一部で発表されています。
     大げさにいえば、400年も前にシャム(17世紀中期、現在のタイ)の日本人町に移住をした山田長政(ながまさ)や榎本武揚(たけあき)が指導した明治前期のメキシコ移民などは、今では墓の形をわずかに残すのみで、日本の言葉はもちろんのこと日本文化らしいものは、ほぼ消滅しているようです。
     このような現象が起きれば、日本にとってもブラジルにとっても、決してプラスになることはないでしょう。 ちなみに、講談社版日本語大辞典や岩波の国語辞典によると「同化」とは、「同様のものになること」、「異なるものを同じようにすること」などと書かれています。
     つまり、日本移民が持ってきた多くの日本的文化が、ブラジル社会に浸透しないまま早晩消滅してしまう危惧があることです。
     一例ですが、日本文化を代表するものとして「寿司」「刺身」などの食文化、体力を促進する「柔道」「剣道」そして大衆の心を一つにする「運動会」、教養を高める「生け花」などがありますが、それらは日本人が持つ一般的な知識、教養のひとつだと思います。
     ブラジルで生を受けた多くの民族は原則、「ブラジル人」としての出生届けを義務付けています。 勿論、二重国籍は可能ですが、これも18歳でどちらかの国籍を選択する義務が生じます。 ですが、民族としての文化は全く別物で、風俗、習慣、言語などは本来自由であるのが建前です。
     ブラジルでも各国から移住をしてきた国の文化には敬意が払われ尊重されています。 したがって、言語も民族的文化等々も、ブラジル国に持ち込んだ風習や習慣も本人次第で自由に行使することができます。
     つまり、ブラジル国も例外なく、人間の持つ多様性と共生政策が打ち出されています。 これまでも日系ブラジル人の対日交流に対しては大きな功績がある事は万人が認めていることです。 ですが残念なことには、私たちの民族を象徴する「日本語」の存在感は年々薄れていくように感じます。 これは一体どうしたことでしょう。
     日本文化を象徴する日本語が、我々の日常会話から消えていくと言う事を想像してみてください。 (実際には無くならないと思いますが)、日本人子弟の成長と共にブラジル社会への接触は多くなるわけで、ブラジル語は不可欠である事も論を待つまでもありません。 問題はここなのですが、私たちが運営をして来た県人会は、今そういう意味では大きな転換点を迎えています。 いくつかの理由もあるでしょう。
     今後の最大の争点は意思の伝達方法と、民族としての個性です。 私たちの県人会にも少なからずの、日系ブラジル人が役員や会員として所属しています。 70数名の県費留学生OBをはじめ、各種の事業も進めてはいますが、今後は後継者や言葉の問題など多くの難問も横たわっています。 県人会執行部から会員間、あるいは強い連帯意識のある母県との関係のなかで、日伯両国の「価値観」がどれだけ、双方に理解ができているかは疑問です。
     ブラジル生まれの日系人たちの多くは、自分たちの親を含めて「日本人移住者はブラジルで暮らしているのだから、当然ブラジル語を理解すべきだ!」と言うでしょう。 一方では日本人移住者は、「日本人の子孫、つまり、日本人の子供なのだから日本語を話すのは当たり前」という立場で会話が進むとすれば、不毛の議論にすぎません。 ブラシルが目指す「多様性をもった双方の文化を伝えること」も継承する事ができません。 それはお互いの国のあり方にもよりますが、まぁ、それだけ難しい問題ということですね。
     少なくとも、ブラシルで活動している当会にとっては、当たり前のことではありますが、自国(日本)の尺度で他国などを見れば、間違った判断をする可能性は十分考えられるわけです。 ここにブラジルに存在する県人会の役割と難しさがあると思います。 また、これも当たり前の話ですが、長い伝統を持つ日本民族は、あらゆる歴史的条件の中で細かい独特の文化を積み重ねた結果、現在の日本特有の価値観を生み出したのです。 これも人間が生み出したこの世の楽しさかも知れません。
     県費留学生や交流事業には、心ある県人会員や、母県の賛助会員、さらには県も補助金を出し、少なからずの応援をして下さっているのです。
     岐阜県もブラジル日系人に期待するのは、「日本とブラジルの価値観を理解する努力の一端を担ってほしい」というのが本音の部分ですから、私たちはこの考え方を察する更なる努力をする必要があるように思います。 これは結果的には、双方の利益にもつながるのです。

(原稿: ブラジル岐阜県人会 顧問 山田彦次)

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