ブラジル岐阜県人会便り
インターネット版
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第298号
2016年6月

ブラジル岐阜県人会
今後の発展

     
     季節も変わり、朝晩、急に寒さが増してきている今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしの事でしょうか。
     2016年2月28日に開催された、ブラジル岐阜県人会総会にて、13期26年間の長い間、会長職に貢献された山田彦次氏が勇退されました。 そして、私、青山髙夫は皆様のご支援のもとにこの会長職と言う重職を受けさせて頂く事となり3月1日に就任致しました。
     私がブラジル岐阜県人会と関わりを持った機会は、1988年5月に開催された、県人会創立50周年記念式典の折、当時の上松陽助県知事をはじめ多数の岐阜県人の方々のご参加を戴き、その答礼訪問団として、同年9月9日~10月11日の期間に岐阜県を訪問した時が始まりでした。
     その後、県人会員となり、会の様々なイベントに参加すると共に、運営に協力して参りました。
     サンパウロ市よりリオ・デ・ジャネイロ方面に向かって150キロ先のタウバテ市に居住している事もあり、1966年には地方理事を任され遠方より支援を致してきましたが、その後、山田彦次氏の下で副会長を務めるようになりました。
     この度、会長職を担い、今迄以上に頑張らねばと身の締まる思いで日々奮闘しております。 はっきり申し上げて、この重責を全うする事は、私個人の力だけでは成り立ちません。 勿論、役員の方々をはじめ会員の皆様方のご指導、ご協力は不可欠なのでございますので、この場を借りて改めてお願いする次第です。
     ここサンパウロ市には47都道府県の協会をはじめ、様々な日系団体があります。 現状の全ての団体とは言いませんが、多くの団体に「頽廃化」が見られます。 その原因として挙げられるのが一世の高齢化により会員不足、活動のマンネリ化等と日系人の日本人としてのアイデンティティーの消滅と言った色々な意見が言われていますが、我々の県人会も全く同様な現象がおきています。
     県人会の始まりは親睦会として発足、年月を重ねる内に県との人的交流、文化交流または経済面での交流等とその活動内容は、毎月の会報やホームページでお知らせしている通りで、既に皆様はご承知されていると思いますので、改めてご紹介する事は省きますが、これからも継続される「イベント」は多々あります。 最も殆どが、サンパウロ市内または郊外で行われて行きますが、特に近年開催されるイベントの参加者の減少は先ほど申し上げたいくつかの要因に依り、その盛り上がりに陰りが見えてきています。 我々の県人会では1969年以来、県費留学生、技術研究生、岐伯青年親善交流等、岐阜県での研修・交流・生活の経験者総勢150名の方々がいますが、残念ながら当県人会に参加、協力を戴いているのはほんの一部の方達です。
     サンパウロ市内に拠点を持つ当県人会への参加は、広範囲のブラジル遠方にお住いの皆様方にとっては並々ならぬ事とは十分承知しておりますが、是非、上記に上げた人達がボランティア精神(自主的に奉仕活動を無償で実施する)を理解して戴ければと考える次第です。 この行動を絶えず念頭に入れながら実行して行けば、自然と他の賛同者も集まってくるのではないでしょうか。
     新生ブラジル岐阜県人会の活性化を求め続けて行くための一つの手段として、どおしても現会員と一緒に奮起・活動を共にしながら新しいニーズに合う団体運営を試みたいと思いますので、皆様の更なるご協力を賜りたく、お願い致します。

(原稿: ブラジル岐阜県人会 会長 青山髙夫)

 

 

リゾートの町「カンポス・ド・ジョルドン」

     
     ブラジル岐阜県人会の恒例日帰りツアーが去る5月22日(日)に行なわれた。 県人会事務所前より午前7時に大型バスは29名の参加者を乗せて出発。
     昨日まで肌寒い雨模様の天気で少し心配のスタートだったが、途中アイルトン・セナ街道のサービスエリアで30分程休息を取った後にバスが出発すると、急に濃霧が晴れ、天気が一変した。 快い日差しがバスの窓ガラスから差し込まれ、車内はほど良い気温となる。 早速、長屋充良理事がゴルフボールの穴の数、紐の長さ、重さ、目的地に到着を予想をする時間等を当てるゲームやビンゴに興じ全員は時間が経つのも忘れたかのように楽しんだ。
     途中、タウバテ市郊外の街道筋で青山髙夫会長と今回観光ガイドを担当するファチマさんが乗車。 カーブの多いフロリアーノ・ホドリーゲス・ピニェイロ街道をひたすら走行すると46キロ地点にカンポス市の入り口に到着。
     カンポス・ド・ジョルドン市は標高約1600mの高原に位置し、大勢の観光客が全国、そして外国からも集まり賑わうリゾート市だ。 特に冬季の7月から8月にかけては冬季国際音楽フェスティバルが開かれる。
     「クラウジオ・サントロ」音楽堂はラテンアメリカ最大のクラシック音楽イベントのメインステージを持ち、800人を収容をできる設備を整えている。 35万平方メートルの敷地内にはフェリシア・ライマー(FeliciaLeirner)の博物館が配置されている。 1904年にオランダで生まれ、結婚後の1927年に渡伯。 42歳の時より彫刻家としての道を選び、数々の作品を完成させた。 1963年のビエンナーレ展では彫刻家としてブラジル最高の賞を受賞。 彫刻品はパラナ松や楓(かえで)等の樹木に囲まれた通路に沿って80体以上が展示されてあった。
     次に向かったのは、アデマール・デ・バホス前州知事がボア・ヴィスタ公邸を避暑地の別荘として1964年7月21日に建設。 現在は博物館として一般公開しているが、今回はあいにくと昼休みの為に入場ができず残念。
     その後、急なボア・ビスタ通りの坂を下って行くとベネディクト修道院に到着。 大きなパラナ松や、プラタナス(スズカケノキ科)等がそびえ立つ木々の傍に人口池があり、鯉がゆうゆうと泳いでいるのが眺められた。 修道院内は自然に満ちた雰囲気と静けさがほど良いバランスで保たれていた。
     午後2時近くになって、シュラスコレストランに全員が集合。 やはり観光シーズンの為か、店内はかなり混雑しており、予約していたテーブルもキープされてなく、小グループごとに分散してテーブルを囲み昼食を取る。 当地で有名な地ビール「バーデン・バーデン」を飲もうと期待していたアルコール愛好者の皆さんはサンパウロの価格よりはるかに高価なのでがっかりした方も多かったのではと思う。 食後は、カピヴァリ公園の土産広場で手芸品やチョコレートを買い求めるグループと「象の丘」へ繋がるケーブルカーを楽しむグループとが残り少ない時間を楽しんでいた。
     一路サンパウロへ向かってバスは午後4時半に同市を出発。 途中、街道筋はかなり渋滞だったが、予定時間より30分遅れの午後7時半にブラジル岐阜県人会前へ到着。 今回は会員の他、駐在員、日伯交流絵画展の画家さん達と大勢の参加者に依り、無事ツアーを終える事ができました。 皆さんお疲れ様でした。


Campos do Jordãoで集合写真

(原稿: ブラジル岐阜県人会 マネージャー 坂野政信)

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