ブラジル岐阜県人会便り
インターネット版
www.gifukenjinkai.org.br
第297号
2016年5月

カタカナ語

     
     自分の語学力のなさ、知識のなさを棚に上げて、何と情けないことを言っておるかと笑われるだろうと思いながら、この駄文を書いている。
     学識高い諸氏から見れば、当たり前の言葉「カタカナ語」(横文字語)が分からないでは、この国際化の世の中、ついて行けないと蔑みの一言で片づけられるだろうことは承知の上で、あえて現在の日本語の文章、会話の中に、いかに「カタカナ語」が多いことか。 もっと日本語を大事に使ってくれよという気持ちや、日頃感じていること、思っていることを一言、書いてみたい。
     まずは、カタカナ語の混じった例文を二、三、取り上げる。
     「ラッパーになる。 ある記事のタイトルが韻を踏み過ぎていて、ツイッター民がリスペクトしまくる」(意味不明)「躍動感あふれるシビック・タイプ・アールのスタイリングをさらに強調し、スポーティさを高めるモデューロカスタムパーツ、リアルカーボンや鮮やかなフレームレッドアイテムを内外装に多数ラインナップした」(この車の型の想像すらつかない)「デフェクト製品をオールエリミネートする戦後、日本のマニファクチュアーは、こぞってこの方針をアダプトし、ハイパフォーマンスな、デュラブルな製品を次々と生み出した」。 最後のを完全に日本語にすれば、「欠陥ある製品を完全に除去する戦後、日本の製造業者は、こぞってこの方針を採用し、高性能な耐久性のある製品を次々と生み出した」となるこう書けば、実に明快な日本語文章である。
     世間では、政治家、事業家、宗教家、芸術家、評論家、学者、経営者、教育者と呼ばれる、そのほとんどの人たちが二か国語、三か国語に通じているが、そんな中にも、今の日本語の「乱れ」を憂いている人たちが、結構多数いるのである。
     この人たちの意見を見聞きして、日頃の自分の思いとの一致をそこに見て、我ながら少々気を良くしたものである。 これらの文章を読む時、いつも小生は、何年も前に買った「新カタカナ語ポケット辞典」(二万二千語収載―英語、仏語、伊語、和製英語等、カタカナ語を横文字で表し、そこから和訳)を片手にしている。
     横文字はかっこいいが、その言葉のふわっとした雰囲気が、何かごまかされているような気がしないでもない。 余計な横文字は鼻につくだけなので、ちゃんとした日本語を使って欲しいものだ。
     ここで、先に挙げた偉い人たちの意見を紹介する。
     「企業活動のグローバル化に伴い、英語を社内公用語としたり、昇進の目安に英語検定試験TOEICの点数を掲げたりする企業が増えている。 その是非は別として、仕事で英語力の必要性を痛感しているビジネスマンも多いだろう」(ある評論家)
     「カタカナ語を濫用していると、何時かは日本語で事象を正しく且つ正確に表現出来る能力が、退化しはしないか」(ある教育者)
     藤原正彦(数学者、随筆家、米国の大学で教鞭を執った)が、家族愛、郷土愛、祖国愛と題して次のように言っている。 「まずは自分の身近にある家族を愛し、自分が育った故郷を愛し、自分の国の文化や風土を愛すれば人類愛は自然と生まれる。 三つの愛をきちんと理解していれば、他の国の人々が同じ思いを持っていることも分かるから、戦争の抑止力となるばかりか、国際人として他国の人々と心を通わせることが出来る。 最近は、小学校から人類愛、国際理解、英語とか言って、はしゃいでいるが無意味。 頭だけの人類愛や国際理解からは何も育たない・・・」
     明治の日本は、国を挙げて西洋文明、文化を取り入れて来た。 その時代、外国から入って来る西洋語をかたっぱしから翻訳し、和製漢語にしてきた。 明治の人間の立派さの表れである。 以下、その言語の数々。
     政治、行政、選挙、銀行、保健、金融、経理、為替、会社、協会、企画、郵便、電報、電話、美術、芸術、哲学、教育、鉄道、汽車、自動車、道路、飛行機、運動、体育、陸上、競争、野球、等々。
     それに引きかえ、平成の人間のダメさだ。 立派な日本語があるにもかかわらず、外来語をそのままカタカナ表記するだけ。 以下、「日本語化」しているといってよい「カタカナ語」の例。
     モチベーション(動機づけ刺激)、ガバナンス(統治、支配管理)、コンセンサス(世論、合意)、イノベーション(技術革新)、モニタリング(継続管理)、メンタリティ(精神作用)、ポリシー(政策、方針)、ポピュリズム(人民主義)、レジーム(社会制度)、ケア(介護)、ジレンマ(板ばさみ、八方ふさがり)、フラストレーション(欲求不満)、フレキシビリティ(柔軟性)、セレモニー(儀式、式典)、リーダーシップ(指導力、統率力)、カリスマ(超能力、大衆を心服させる非凡な才能)、ルーツ(根、祖先)、ニーズ(需要)、ボーダレス(境界のない)、シビア(厳しい)、ボランティア(自発的に奉仕活動などを無償でする人)、ビジョン(未来像)、ユニーク(特異な、独特の)、リベラル(自由な、進歩派)、プロセス(経過、過程)、コンプライアンス(法令遵守)、メリット(価値、利点)、マニフェスト(宣言、声明書、政権公約)、ポテンシャル(可能性のある)、コラム(新聞雑誌などの囲み記事、短評欄)、etc。
     日本語は世界的にも難しい言葉であると言われている。 文法や正書法は複雑だし、表記に使う文字数も多く、発音も独特。 とは言え、その難しい分だけ複雑な心理現象が出来たり、美しい表現が出来たりする奥深い言語である。 (ある学者の日本語評)
     この日本語の独特の表現で、適切に横文字に翻訳されていない言葉がある。
  • わび(侘): 閑寂な風趣。
  • さび(寂): 古びた趣きあること。
  • 切ない: 胸がしめつけられる思いでつらい。
  • みそぎ(禊): 身に罪または穢れのある時や重大な神事などに従う前に、川や海で身を洗い清めること。
  • かまう: 気にする、かかわる、関与する。
  • 初心: 学問、芸能の習いはじめであること、その人。
  • もったいない: 物の本体を失する意。

     最後に一言。 有りようはこれ、カルチャーの薄い、モチベーションもビジョンも薄い、ジレンマとフラストレーションを抱え込んだ、ひとりのオールドマンの勝手なマニフェストということなのである。

(原稿:ブラジル岐阜県人会 会計理事 日比野健一)

 

 

グァラレマ総合体育館が落成
土田桂一氏の功績を評価

     
     2016年4月1日、午前10時半よりグァラレマ市・桜高森植民地(旧岐阜県村)内に市立総合体育館が完成した。 同総合体育館設立に至っては2015年10月22日付のグァラレマ市条令第3111号認可に基づき土田桂一氏のスポーツに於ける功績を称え、「ケイザブロウ・ホンダ小学校」の隣接に建設、「ケイイチ・ツチダ総合体育館」と名前が冠された。
     式典には長男の土田加津司氏、次男の加津郎氏、家族全員が揃って出席された。 又、この度の式典にはブラジル岐阜県人会より山田顧問、青山会長、坂野マネージャーが祝福の為に参列。 その折には土田家を代表して加津司氏より感謝の意が県人会側へ伝えられた。
     800平米の会場内にはアドリアノ・レイテ氏(グァラレマ市長)、アンドレ・ド・プラード(サンパウロ州議会議員、元グァラレマ市長)、市議会議員、教育委員会の関係者、市役所職員及び、初等科の生徒たちと保護者や地元の住民が大勢詰め掛け式典に参列。 シジネイ・レアル市議員の司会のもとに式典が始まりブラジル国歌を斉唱。 そして土田桂一氏の入植後に於ける貢献とその歩みが紹介された。
     引き続きアドリアノ・レイテ市長より落成式の祝辞が述べられた。 アンドレ・ド・プラード州議員も、この度は特別にサンパウロ州政府を代表して挨拶。
     土田桂一氏は岐阜県山県市出身で、妻おぬい氏、長男加津司氏、次男加津郎氏は1960年3月2日に第一陣として桜植民地に農業移民として入植。
     土田家を代表して土田加津司氏の次男オスカー健二氏が幼年時代には隣接の小学校に通っていたが、このような立派な体育館が25年後に完成されるとは思っていなかったので、今はただ喜びと嬉しさと共に大変誇りに思うとコメントされた。
     そして祖父である土田桂一氏が長年に渡り同地に於いて日本由来の運動会を率先し開催すると共にスポーツを通して文化の交流に深く関わって来たことがこのような形になって評価され、大変喜ばしい事だとお礼の言葉を述べた。 その後、土田家を囲んで来賓者達が記念プレートの除幕が行われ無事式典は閉幕となった。


ブラジル岐阜県人会関係者と土田家の方々

(原稿: ブラジル岐阜県人会 マネージャー 坂野政信)

Copyright Brazil Gifu Kenjinkai. All rights reserved.
www.gifukenjinkai.org.br