ブラジル岐阜県人会便り
インターネット版
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第292号
2015年12月

年の瀬はいかがお過ごしですか?
「日ブラジル外交関係樹立120周年記念」
「日伯友情交流絵画展」も無事終わりました

      2015年は岐阜県や県教育委員会、県議会の先生方をはじめ、多くのブラジル岐阜県人会関係者、日系社会の皆様方にお世話になり今年も無事に終えることが出来ました。 厚く御礼を申し上げます。
      2015年は「日ブラジル外交関係樹立120周年」という記念の年として、10月28日には皇室より「秋篠宮同妃両殿下」の正式なご来伯は、まことに喜ばしい慶祝行事の一つであった事は、まだ記憶に新しいところです。
      ブラジル岐阜県人会の今年をふりかえってみますといろいろの事業と出来事がありました。
      具体的には「日ブラジル外交関係樹立120周年記念」と「在サンパウロ日本国総領事館開設100周年」を祝い、8月3日より14日までの会期でもって、ブラジル岐阜県人会主催・在サンパウロ日本国総領事館後援の「第11回日伯友情交流絵画展」を総領事館3階の多目的ホールに44点の展示作品を前に、中前隆博、在サンパウロ日本国総領事のお祝いのお言葉と、ブラジル日本文化福祉協会(文協)の上辻照子副会長ら、多くの関係者各位のご出席を得て開催されました。
      日伯友情交流絵画展は、国籍、民族、言語、宗教、年齢の壁を乗り越えた両国の画家たちの優れた作品を出展できるよう、出来る限りの努力を払い、日伯間の友情と相互理解の一助になればと言う主旨のもとに毎年開いているものです。 また、これはあくまで主催者側としての希望ですが、開催期日が毎年不確定であることは、いたし方が無いことと十分に理解はしていますが、準備期間にもう少し時間的余裕がほしいというのが率直な気持ちです。
      又7月には、岐阜県教育委員会派遣の「岐阜県農業高校生海外実習生派遣事業」は、今年で第37回を数え当会も積極的にかかわってきました。 例えば、国際空港への出迎えに、ホテルの選定から、各地方への実習農家の選定場所や、訪問先の表敬訪問日程調整案内等があります。 これまでにブラジルを訪れたOB、OGは400名を超えるまでに発展をしています。
      かっての若者であった皆さんは、今では立派な農業経営者や指導者として成長されていることは、ブラジルでの農業の体験や、異文化を肌で感じたり、日本と反対側で暮らす日系人の生活を見たり聞いたりをしたことが大きな糧となり、様々な分野で活躍をされている原動力になっているとも聞いています。
      今後の発展が期待されるところですが、岐阜県民の海外に対する感覚は、まだまだ遠い国ブラジルという印象を受けます。 ですがこのような交流を兼ねたブラジルでの実習体験は、必ずや岐阜県の農業にはプラスに作用すると思われます。
      特に、人口減少と農業人口の就農問題を抱えている岐阜県(日本)も、独自の対策が講じられていることとは思いますが、かってのブラジル実習から学んだ国際感覚を生かしていただき、新たなチャンスを生み出していただく絶好の機会だと思います。
      つまり、心構(覚悟)と努力しだいでは出来ない事は無いと言うことを、岐阜県の農業高校生諸君は、ブラジルの実習体験の中で学んでくれたはずと信じています。
      その他にも、会員間の横の連絡を少しでも充実したものにするための、当会主催によるピクニックの開催等々、現在も出来うる限りの努力を続けています。

新年度(2016年度)に向けては、みんなで考えよう!
      これまでも何回となく会報の中で述べてきたように、私たちのブラジル岐阜県人会も新しい移住者が途絶えた現在、早かれ遅かれ、ブラジル生まれの日系人子弟の運営に切り替える現実に直面するわけです。 一日も早くその対処法を考え、できうる限り影響を避ける運営の道を探さなければなりません。
      つまり、我々が直面しているのは一世(日本人国籍者)中心の組織から、日系ブラジル人(二・三世)に、県人会運営は移行する時代になっていく現実がすぐ目の前に来ているということです。
      いずれにしましても、ブラジル国内で運営をしているブラジル岐阜県人会にとっては、器が小さいこともあって、すべての問題がすぐには直接的な影響を受ける事は無いにしろ、それでもブラジル国民の一つの協会という歯車であれば、いずれ、時間がたっていけば何らかの形で影響が現れて来ることは疑いのない事実です。
      一つの例ですが、近い将来我々の前に姿を現してくるモンスター(日本人とブラジル人の価値観の相違)に対しても、しっかりとした議論をしておかなくてはなりません。

心に留めておこう! 時代の流れ
      大阪万博前後を境に、サンパウロ市を中心とした日系人集団地では世代間に横たわる大きなギャップ、つまり価値観(日系人はブラジル人)の違いをどのような形で埋めあわせ、理解と協力を取り付けるかにかかっています。 つまり、これまでの県人会は、母県に目を向けた運営が中心でした。
      そして、その大きな原動力は日本語を中心とした故郷愛が、戦前の移民と世界大戦以前に生まれた二世の人たちでした。 したがって、県人会だけにとどまらず地方の日本人会でも大きな役割が果たされてきました。
      その後、戦後移住が再開された1945年以降の日本人移住者と戦後に生まれた日系ブラジル人を交えた社会全体の動きは大きく変化しはじめました。 特に1960年代後半ごろに移民として戦前移住者農家に(当時は農業移住者のみをブラジルは受け入れていた)一労働者として働いていた人たちの多くは、「日本製」という呼び方で、戦前移住者と、戦後移住者を区別していたのですが、1970年の大阪万博を境にこのような呼び方はなくなっていくと同時に、新しい移住者も急激に少なくなりました。
      そして、日本人の移住社会が日系ブラジル人という表現が登場してきたのもこのころで、具体的には、これまでの日本人の移民社会が持っていた概念が1970年~1980年代以降、ブラジル日系社会では抽象化され始めたことも注目される出来事でした。
      一方では、日系人はブラジル人という考えはこの当時から、底流としてあったようには思われます。 ですが、或る意味において既存の日本人団体には、中々受け入れる事は難しい状態であると同時に、他方の日系ブラジル人である日本人子弟も、県人会は俺たちの故郷でもなんでもない、という考えが支配的でした。
      したがって、当ブラジル岐阜県人会も、上記(日系ブラジル人)の人たちを県人会にどのように留め、取り入れるか?という議論が県人会内部などでも始まったように記憶しています。
      母県での県費留学制度にしても、当然県側もこのような事を考慮した一環で進められてきたことは容易に想像できるわけですが、ブラジル生まれの日系人の若者たちに、どれだけ理解と協力を得られたかについては、いろいろの説もございますが、少なくとも日系社会にとっては、プラスになっていた事は間違いは無いでしょう。 ですが、今後の課題としては日系ブラジル人の留学先の思考変化は、アメリカを中心に考えていることから、当ブラジル岐阜県人会でもこの問題に対して、いかに日本に目を向けさせるか、そして具現化する事は大切な問題の一つとして努力をしなくてはなりません。
      特にこのような流れの中で、ブラジルの県人会内部での使用言語も大きな問題であると同時に、県人会組織(奉仕組織)のあり方や、母県との関係維持、連絡事項等々を(「ブラジル語」が主流?日本語?)真剣に考えなくてはならい時期が(過ぎている?)すでに長く続いています。
      ですが、現実には当会もそうですが、これと言う対策は採られていないのもこれまた現実です。
      勿論、将来に関してはいろいろの意見はあるでしょうが、海外で組織された民間団体が、いったん崩壊に向かえば、二度と立ち上げることは困難になると思われるだけに、今後の努力が待たれる所以です。
      現時点では、県人会組織はサンパウロを中心とした大都会に集中しています。 地方都市では「日本人会」という団体が圧倒的に多く、大都会の中の日系人(ブラジル人)との間では、大きな相違点が目立ち始めているように感じます。 つまり、多くのブラジル日系人には故郷と言える特定の場所なく、それぞれの育ってきた環境により、左右されてきたことにあるのではないかと私は考えています。 ですが圧倒的に多くの日系ブラジル人を抱えているのは大都会のサンパウロ州ということになります。
      つまり、日本の出自社会の価値体系を持った人たちが、ブラジルというまったく違う外国で暮らすことによって、日本の価値体系(社会的、文化的)を断ち切り、まったく新しい価値体系の接触を体験するわけですが、日本人移民(一世)集団はきわめて不徹底な価値観の中で生活を営んできました。 意識的には県人会に所属(日本人会)することによって故里をみいだし、何となく安堵をしていた節がありましたが、一方において家庭内ではどうだったか?成長した日系ブラジル人子弟と親子間で同居しながら、少ない会話の中で(往来)ブラジル人としての価値体系を維持しようとする親子間は、お互いに気を使いながら、その狭間で過ごしてきたのではないでしょうか?
      よくある実例ですが、子供たちが成長することにより、「お父さん此処はブラジルですよ」という一言に、すべてとは申しませんが多くの日本人移民は反論は出来ずに終ったという現実もありました。
      専門家ではないので結論は出せませんが、長年県人会運営にたずさわてきた私の率直な感想です。 さらに「独断と偏見」が許されるのであれば、一番大きな誤解は、日本人全ての人が持っている「思いやり、察し」という、極めて普遍的な日本人の考が、私たちの日本人移民の文化として根ずよく残っています。 ですが、ブラジルではこのような考え方は、私の体験上では非常に伝わりにくいということです。
      一つの例ですが、「この前は大変お世話になった」という感謝の気持ちを、相手に伝えたくて、一週間後に「この前は大変ありがとうございました」。 「これは、つまらぬものですが」といことで、御礼の品を持って行ったとしても、その感謝から発する御礼という意思は伝わりにくく、むしろ、「なぜこんな物をくれるのだろうか?」「俺に利用価値があるからプレゼントをくれたのかなー?」ということで、日本人が日ごろ考えている、感謝とかお世話になっているという御礼の意味は伝わりにくく、贈った日本人と受け取ったブラジル人との間では誤解が生じることも多々あるようです。
      当然、日本人移民と日系ブラジル人の間でも死生観についての考え方にも、大きな変化が生じ始めています。
      2016年を迎えるにあたっては、ブラジル岐阜県人会の運営についても、多くの問題を抱えながら新年を迎えるわけですが、会員一人ひとりがこの様な問題は、日常茶飯事に起きる事柄です。 率直に言えば真剣に考えれば考えるほど、県人会運営の難しさは、想像をはるかに超えるものがあるように思います。
      それでは皆様、良いお年をお迎えください。

(ブラジル岐阜県人会 会長 山田彦次)

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