ブラジル岐阜県人会便り
インターネット版
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第281号
2015年1月

今年は「日伯修好120年」
明るい希望を持って進みましょう

ブラジル岐阜県人会
会長 山田 彦次

     「ブラジル岐阜県人会」も難題を抱えながらの2015年ですが、それなりの覚悟と希望や夢をもってスタートいたしました。
     会員の皆様方や関係者の方々も、その後お変わりなくお過ごしのこととお慶び申し上げます。
     
     ご承知のように、ブラジルにおける日系社会は一段と同化現象が際立ち、サンパウロ市周辺を含めた日系人団体のコミュニティー維持、つまり運営の厳しさが増しているように見受けられます。その姿はさながら、羅針盤なき小船が、大海原を右に左に、或いは上に下にと大きく揺れ動き、接岸する場所さえ見失っているように見えるのは私一人だけでしょうか?。勿論、それでいいはずはありません。それならどうする!と言う意見も出そうですが・・・?
     
     私達の県人もブラジルに移住をしてから一世紀がすぎました。県人会活動も75年が経過しました。昨年(2014年12月)には、「岐阜県人ブラジル移住と、県人会の歴史」を年表形式で発刊することが出来ました。ご脇カを賜りました多くの関係団体、並びに会員の皆様方のご理解に深く感謝を申し上げる次第であります。
     
     ブラジルへ移住をしてきた岐阜県人と子孫の思いは様々でも、次世代に残す年表史料は賓任の方が重要であるため、当会は永久保存をという考えを中心に、出来るだけ客観的な立場に立った論評も付け加えながら、可能な限りありのままの姿を伝えるように努めて参りました。
     
     県人のブラジル移民も初期の時代は毎日の生活に追われ、将来についても、又自分自身についても希望の無い毎日でした。今では多くの県人移住者とその子孫は経済的にも恵まれ、余裕のある生活を愉しんでおられる人達が圧倒的に多いと思われます。
     「ブラジル岐阜県人」も祖国愛、ふるさと愛に満ち溢れた県出身者と、そのご家族の皆さま方に支えられ75年が過ぎました。是非この機会にもう一度立ち止って頂き、遠いブラジルから岐阜県を眺めお配りした【年表】に目を通していただきながら、ブラジル岐阜県人会の行く末などに思いをはせ、何かを感じとっていただければ望外の喜びでもあります。
     
     また、永年県人会に関係をしてきた私の立場から、偏見と独断が許されるならばとの思いで、幾つかのパターンに分けて問題点をあぶりだし、今後の県人会運営の指針になればということで、この機会を利用し以下、これまでに感じてきたことを箇条書で記してみました。是非、ご意見をお寄せください。
     
     (1)故郷や日本に目を向けながら、終生県人会と真正面で向き合ってきた人達。
     県人会活動の中でも絶えず中心的な役割りをにない責任感も旺盛な人達ですが、うるさい存在でもありました。しかし日本とブラジルをつなぐ縁の下の役割りと、県人会の活性化には大きく真献をされました。しかしながら新しい移住者が途絶えた現在では、県人会は移民一世で終わっても良いと考えてきた人たちも少なからずおられます。また、ブラジルで展開した事業の成功を、故郷に知らせる手段として県人会に参加された方も含まれていました。
     
     (2)終戦を境にブラジル永住を覚悟し、考え方や行動パターンを変えブラジル化した人達。
     このケースが圧倒的に多いのも県人会参加者の特徴と言えます。むしろブラジル化?した考えは当然かも知れません。したがって、利用する時代が去れば、徐々に県人会関係を薄めていった人たちです。つまり、利益が見込めると思われたときには(例、県との交流事業、留学制度など)積極的に参加する。利用価値がなくなれば去ると言う考え方は一見合理的といえなくもありませんが、但し、県人会は利益を生み出す団体ではなく、基本的には参加している会員の協会団体である為、一人、一人の理解と協力がなければ成り立ちません。つまり、皆さんの会費と寄付で成り立っている団体です。(定款では、役員はいかなる報酬も受け取ることが出来ない‥と明確に記されている。)したがって、県人会に参加し利用することは当然にしても、利用者各人がどこかで人的奉仕や物品を拠出する精神がなければ協会の運営はたちいかなくなります。此処のところが問題です。
     
     (3)一世移民の中には祖国、郷里等々を思いながら暮らしてきましたが、日本人社会との接点も無く、開係をもてなかった人達。
     つまり、日本の移住政策によりブラジルの奥地など情報の少ない土地に配耕され、都会に転住する機会を失った人達も少なからず存在しています。このような方々は県人会に参加することさえ、困難が伴った時代があったことは間違いありません。このようにみてきますと、想定外の運命との出会いや人それぞれの考え方、或いは、過去の移住者の多寡によって、県人会の方向性が変わった会があっても不思議ではありません。
     
     さらに、ブラジルの場合は県人会の目標が親睦団体か、慈善団体か、それとも事業団体なのか?が定まっていないことも迷いの大きな原因でもありましょう。(日本に存在する都道府県人会は同郷人の親睦周体であるため、県からの補助金はなく、場合によっては母県に寄付をする・・・、と聞いております。)
     
     私達の県人会に限らず、祖先が作り上げたブラジルでの県人会では何を受け継ぎ、何をするべきかさえ分からない形で運営の主導権は日系ブラジル人に移りつつある時代です。
     様々な埋由がありましょうが、一番の問題は次世代、つまりブラジルで生まれた二世以降の人たちにとっては、運営埋念に大きな疑問があるまま、それが解消されていないと感じ取っているのが現状ではないでしょうか?
     
     つまり、≪ブラジルに存在する県人会とは何をする団体なの?父親、或いは母親はどこかの県人でも自分たちの故郷は、アマゾンであり、アリアンサ、バストス、或はパラナ州で生まれたブラジル人であって、従って祖国はブラジルですよ≫という意識が強く、この考え方ははっきりしています。
     その証拠に、≪日本へ留学や働きに行ったときには、日本の名前を持っていても外国人の扱いでしたよ。別に日本人になりたいわけではないが、表面的には差別が無いように見えても、実際には差別はありましたよ≫というのが、留学や仕事で日本に滞在した人たちの本音の声です。このような考え方をする日系ブラジル人が圧倒的に多くなっている昨今では、私たち一世が作り上げてきた県人会は、別の次元、つまり角度を変えて考えてみる必要があると思いますが如何でしょう。
     
     例えば、ブラジルは人種の坩堝とも言われる国であるわけですが、ブラジルで生まれた人は民族にとらわれず(出生主義)ブラジル人として国家が認めています。反対に日本は基本的に血統主義を採用しています。
     
     しかし、歴史も浅い移民国家ブラジルにおいては、国体も大切ですが概ね個人が優先します。それだけに自己中心的な考え方を強く主張をしますが、一方では相手にも理解をしてもらえるように努力します。
     
     日本には「沈黙は金なり」という格言があります。一例ですが、物事の進め方なども、上から大まかな指示があるだけで、後は担当者が物事を推察した形で進めるとか、事の顛末をみて全て納得できなくても、多分相手はこのような考え方で事を進めている、と言う話をよく耳にします。多民族国家といわれるブラジルにおいては、理解を得る為には、言葉で意思表示をする、そして事柄については丁寧な言葉で、かんで含めるくらいの努力が必要のようです。
     
     つまり日本の価値観からいえば「思いやったり察したり」「誠意を持ってやれば必ず埋解が得られる」と黙々と行動をしても認めてもらうまでには時間がかかります。
     これまで日本人移民の社会も、日本とブラジルでの価値観の違いに戸惑ってきました。勿論、一世とブラジル生まれの日系人の問にもそれは存在します。
     
     早くそうした習慣等々を理解し乗り越え会得して運営をする県人会は…? 現実には当会を含めて、まだまだ難しいのが現状ではないでしょうか?
     
     新しい人材、若者たちの参加はまさに理想的な姿です。此処5年以内で実行に移す具体的な提案が必要でしょう。つまり頭で考えるだけではなく、実際に履行し応用しなくてはなりません。そうでなければ県人会は-体ブラジル社会に、或いは日本(故郷)に対して、私たちには何が出来るのかを真撃に考え、実践をするべきでしょう。
     
     ブラジルの日系人団体は日本から、或いは県などからの補助金を受け取っています。形態は昔ながらの親睦団体が(娯楽中心)主体で進められていることです。此処はよく考える必要があります。例えば、日本語の大切さもしっかりと考え、日本ブランド(日本人のもつ特質)も、日系移民社会にとっては非常に大切なことです。納得が出来なければ、まず積極的に議論をすることです。ブラジル社会に日本文化の発信や、ブラジルのよさを日本に伝える努力がなければ、先輩移住者達が今まで築き上げ、そして堅持してきた「日本人」「日本人らしさ」の価値観、存在感は失われ、ただの東洋の移民集団で終わります。
     
     一方では一世紀が過ぎたブラジルの日系社会は海外最大の人口といわれ続けています。本当にそうなのか?
     我々のコミュニティーに所属する日系人人口は、150万人なのか180万人なのか?具体的に何を根拠にこの数字が使用されているのか?今となってはこの数字だけが一人歩きしているのではないか?大いに疑問を感じます。仮にこの数字が事実にもとずいたものであるとしても、ブラジルの日系人は果たして、日本の文化を受け入れる努力をしているのか?否か? 明確な考え方は果たしてあるのか‥?私には何かを見失っているのではないかとさえ思えます。いわばコスモポリタン主義(Cosmopolitanism)に写ります。
     
     つまり、戦前、戦後を通じて日本人は農業移民と言う限定された枠の中での生活を余儀なくされて来ました。従って、サンパウロ市内に転住を試みた人たちは、生活の改善とか子弟教育に力をそそいだ結果、サンパウロの街はそのまま暮らしの場所になったのではないでしょうか?
     
     今年は、「日伯修好120年」、要(かなめ)の比重を問われかねない日系人社会です。これまでに輝かしい実績を残してきた日系社会、さらには県人会の力を一段と高める努力は一人ひとりの日系人の考え方次第でいかようにも変化を遂げることが出来るのではないでしょうか?

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